
──音楽に目覚めたきっかけを教えてください。
吉田:中学2年の給食時間に、放送でRADWIMPSの「おしゃかしゃま」が流れたんです。それが初めて音楽に衝撃を受けた瞬間でした。鮮明に覚えていますね。あのとき、給食の味がしなくなったんですよ(笑)。
──それまで音楽にはあまり興味がなかったんですか?
吉田:まったくなかったわけじゃないです。姉がBase Ball Bearを聴いていて、自分もSIDやBUMP OF CHICKENには触れていましたけど、ジャンルや仕組みにまで興味を持ったのはRADWIMPSがきっかけですね。それからは自分でCDを買ったりして、音楽が一気に身近になりました。
──「自分でも音楽をやってみたい」と思ったのはその頃ですか?
吉田:それはもっと後です。バンドをちゃんと認識して「聴く」ようになったのはそのときですが、実際にやってみようと思ったのは高3の春休み。先輩の卒業ライブに出るギターがいなくて、友達に誘われたのが最初でした。ライブまで1週間しかなかったんですけど、ノリで始めたら意外と弾けてしまって。器用なほうなんで、何でも最初は形になるんですよ。ちなみに演奏したのはELLEGARDENの「Missing」と、RADWIMPSの「ます。」でした。
──そのバンドはオリジナル曲もやっていたんですか?
吉田:はい。最初はONE OK ROCKのコピーっぽい曲をやっていたんですが、途中から変拍子を取り入れたりして。いわゆるポストロックに興味を持ち出した頃ですね。そのバンドは大学に入ってからも続けるつもりだったんですけど、メンバーがバラバラになって活動できなくなって。
そのタイミングで、黒川と柳田がやっていたバンドに、僕と桐木が加わる流れになりました。急に「家に来い、鍋するぞ」と黒川くんに呼ばれて。
──黒川さんの第一印象は?
吉田:見た目も派手で、めっちゃチャラかったです(笑)。サークルの先輩だったんですけど、黒川はあまり顔を出してなくて、むしろ桐木の方が有名人でした。
──柳田さんとはそのときが初対面?
吉田:そうですね。はっきり覚えてます。鍋を作っていて、しかも裸で(笑)。福岡で一人暮らしを始めたばかり、怖い先輩に連れられて行った先に、裸で鍋を作ってる人がいるんですよ? めっちゃ怖い思い出でした。でも鍋をつつきながら「バンドやりたい」という話になって。だんだん「やばいやつじゃなさそうだな」と思い、そこで「じゃあやります」と答えました。
ただ正直、その頃のことはあまり覚えてないんですよね。大学のサークルでも課題曲が多かったし、インプットの時期で気持ちも流動的で。いろいろあった出来事の中の一つという感じです。だから当時は「このバンドでいける!」みたいな確信はなくて。
──その確信を持てたのはいつ?
吉田:柳田とチャリでスタジオに通っていたときですね。柳田が、「なんかいける気がする」と言いながらスーッと漕いでいて(笑)、その姿が妙に印象に残っています。俺自身も漠然と「絶対音楽やりたい」という思いはあったんです。その時点でもう大学を辞めていましたし。
──えっ、辞めていたんですか?
吉田:はい。授業行くよりギター弾いている方が楽しくて。気づいたら学校に行かなくなっていました。親にはめちゃくちゃ怒られました。母が教員で結構固い家だったんですよ。しかも俺、高校も半分くらいしか行ってなくて。昼休みだけ顔を出して、夜はスタジオ……みたいな生活でしたから。宿題も出したことなかったし。
──それでよく大学に入れましたね(笑)。
吉田:さっき言ったみたいに、要点をつかむのは得意なんです。でも結局大学も行かなくなり、1年後くらいに通知が届いて親にバレた。そのとき初めて「俺は音楽がやりたい」と伝えました。専門学校に行きたいって。両親も「そんなにやりたいなら」と認めてくれたんです。ただ、その専門学校も結局は中退しましたけどね(笑)。
──あははは。
吉田:1年通ったところで「神サイで上京しよう」という話が出て、東京に出たら物理的に通えなくて。勝手に上京したことも、親には怒られましたね。「帰ってこい!」と。でもバンドが少しずつうまくいき始めてからは、応援してくれるようになりました。親父もギターをやっていたので、心配しつつも最後は理解してくれたんです。
──上京してからしばらくは大変でした?
吉田:めちゃくちゃ大変でした。お金が本当になくて、ずっと「貧乏が怖い」という感覚がありましたね。今でも「お金がない」という状況は不安になります。あと、東京に出てすぐは友達もいなくて寂しかったのを覚えてます。
──でも吉田さんって社交的なタイプですよね?
吉田:そうなんですけど、「外交担当」と言われるのは正直嬉しくなくて。別に俺、友達を無理やり増やそうとはしてないんですよ、大事にしているだけで。自分が輪を広げているというより、大事にしている友達が新しい繋がりを作ってくれるというか。繋がりを増やしてくれることは、嬉しいですね。
それに、当時はグッズやお金の管理も自分がやって、運転して打ち上げにも率先して顔を出して……とにかく、「バンドを回す」ことに必死でした。他にもブッキングのメールを返したり、領収書をまとめたり。雑務は大体やっていましたね。
──辞めたくなった瞬間もありました?
吉田:3日に1回くらい「もう嫌だな」って思っていた時期もありましたね。売れるまでは多分みんなそうだと思うんですけど、逃げたくなる瞬間は本当に多かったです。

──ターニングポイントになった出来事はありますか?
吉田:ギターが嫌になった時期もあったんです。そんなとき、先輩ギタリストのDURANさんにご飯に連れて行ってもらって。「嫌なら弾かなくてもいいよ」と言ってくれて、その言葉がすごく救いになりました。「頑張れ」と言われるよりも、肯定してもらえたことで心が楽になりましたね。
もう一人、マカロニえんぴつなどのサポートドラムを務める高浦''suzzy''充孝さんにも支えてもらいましたね。素直で裏表がなくて、音楽に向き合う姿勢もめちゃくちゃかっこいい。 コロナ禍のときに家が近かったこともあって、Zoom飲みをするようになり、そこから仲良くなったんです。旅行に行ったりセッションしたりする間柄で、弱い部分も知っているからこそ尊敬できるんですよね。
──もし神サイをやってなかったら、何になっていたと思いますか?
吉田:絶対、絵を描いていたと思います。子どもの頃から絵が好きで、美大を考えたこともあったんですよ。最近は動物や昆虫の骨格を描くのが好きで。骨組みから描いていくと「この構造はこうやって重力を受けているんだな」と見えてきて、それを表現するのが面白い。人間も描きますが、自分自身が人間だからか面白みを感じにくくて(笑)。動物や昆虫の方に圧倒的に魅力を感じますね。
周りにデザイナーや映像をやってる友達が多いので、「こういう世界観おもしろいよね」みたいな話をしたり、グラフィックのアイデアを出し合ったり、彼らの作品を見て紐解いたりするのも楽しいですね。映像作品もすごく好きなんです。映画はストーリーに引っ張られ過ぎてしまうので、あまり観ないんですけど。
──他に、何をしている時が一番楽しいですか?
吉田:全然違うジャンルですけど、格闘技ですね。フィットネスレベルですが、体を動かしているときが一番楽しい。体の使い方を自分で理解するのって、音楽にもつながるんですよ。最近は全身で音楽を感じられるようになってきて、それがすごくいいコンディションだなと。具体的にいうと、流れる時間をもっと細かく感じられるようになってきて。「このリズムはここにハメられるな」と体感で分かるんです。それがめちゃくちゃ楽しいですね。
──今回、神サイのお気に入り曲を、10曲挙げてもらいました。どんな基準で選びました?
(アノニマス/泡沫花火/Lovey Dovey/初恋/秋明菊/LOVE/Popcorn ‘n’ Magic!/カラー・リリィの恋文/キラキラ/揺らめいて候)
吉田:傾向を挙げるとすれば、「レコーディングが大変だった曲」ですね(笑)。当初神サイは柳田の音楽性と、自分のやりたいことにズレがあり、そのぶつかり合いの中で新しいエッセンスが加わっていくんです。「アノニマス」なんかは特にそう。メンバーがラウド要素を入れたいと盛り上がっていた時期で、僕自身「神サイでやるべきなのかな」と悩んだんですけど、その挑戦があったから広がった部分もある。ズレがあったからこそ振り幅が広がったし、結果として大切な曲になりました。
──結成から10年、メンバーに対してはどんな思いがありますか?
吉田:柳田は本当に変わりました。結成当初は……正直、尖っていた部分もあり、同時に責任感があったんだろうなと思います。最近は懐の深いリーダーになったなと。黒川は練習熱心で、演奏やアレンジについてよく提案してくれる。僕自身、「まずはノーと言わない」を心がけているのもあって、彼の提案に乗ると新しい発見があるんです。人間的にもブレがなくて、落ち込んでいる姿を見たことがない。場を明るく回してくれる存在でもありますね。桐木は、自分の「決め事」を大切にする人。やらないと決めたことは絶対にやらない。その強い意思は僕にはないもので、すごくかっこいいし見習いたいです。
──これから先、個人的に挑戦してみたいことはありますか?
吉田:ギターに限らず、構想はいろいろあります。もっと多くのミュージシャンと関わって、一緒に考えたり挑戦したりしたいですね。例えばコレクティブ的なものも作ってみたい。セッションミュージシャン的なバンドをみんなで組んで、「これは正しい」「これは違う」とディベートしながら発信できる場があったらいいなと。思想的なレベルで音楽をやっていきたい、という気持ちは強いですね。
──最後に、10年前の自分に声をかけるとしたら?
吉田:最近、高校の同窓会で「10年前の自分から手紙が届いています」という企画があったんですよ。何を書いたか全然覚えてなかったんですけど、開けたらなんと空白で(笑)。めっちゃ腹立ちましたね。もしかしたら10年前の俺は、「(10年後の)お前に言うことなんてない」というスタンスだったのかもしれないです。だから、俺からも10年前の自分には何も言いたくないです。