──音楽を始めたのはどんなきっかけでしたか?

黒川:小5の学芸会で「木星」(ホルスト『惑星』より)を演奏することになって、大太鼓を担当したんです。それがものすごく楽しくて、「ドラムはもっと面白いんじゃないか」と思ったのが最初ですね。本格的に習ったのは中1くらいからで、月1回30分程度。当時は8ビートがなんとか叩けるくらいでしたが、いま振り返ると、小さい頃から音楽に触れる機会は多かったです。母のピアノに合わせて遊んだり、祖父にもらったミッキーの小さなスネアを叩いたりしていました。

──もともと音楽一家だったんですね。

黒川:母も姉もピアノを弾いていて、父はサックスをやっていました。家では父の好きなビートルズがずっと流れていましたし、壁一面にCD棚があって、自然と音楽が身近にある環境でしたね。ただ、自分は野球少年だったんですよ。小3から中学まで続けていて、本気でプロを目指していました。でも県大会準優勝で九州大会に出たとき、市立の強豪校の体格差を見て「これは無理だな」と。親も小柄だったので、そのとき夢を諦めました。

──野球の挫折からドラムにのめり込んでいった?

黒川:それもありますね。高校に入ってから電子ドラムを買って、本格的にコピーを始めました。ギターを弾ける友達が一人いて、放課後に一緒に練習したり、文化祭のために歌えるやつを探してきてバンドを組んだり。ベースはサッカー部の友達に「やれ!」って無理やり(笑)。その文化祭が初めてのバンド体験でした。

──本格的にバンドをやり出したのは大学からですか?

黒川:そうですね、高校までは文化祭レベルでした。僕は北九州市出身なんですけど、福岡市に出たくて。親からは「大学には行け」と言われていたので、勉強せずに行ける方法を探して「指定校推薦」で九産大に進学しました(笑)。軽音サークルに入って、そこで柳田と出会うのですが、その頃は高校の同級生やFSM(福岡スクールオブミュージック&ダンス専門学校)に行った友達と組んでいたバンドを解散したばかりだったんです。柳田がサポートで入る話もあったんですけど、当時のギタリストが「リード取られる」と警戒して(笑)、結局流れました。

──そこから柳田さんとの音楽活動が始まるわけですね。

黒川:はい。授業が終わったら柳田の家に行って、2人で曲作ったりしていました。当時はポストロックやシューゲイザーっぽいことをやろうとしていて。柳田からは「柏倉隆史さん(toe)みたいなドラム叩いて」とよく言われましたけど、無理やろって(笑)。でも自分なりに精一杯、柏倉さんっぽさを出そうとしていましたね。

──その後、吉田さんと桐木さんが入って4人体制に。

黒川:そうです。最初は別のベースがいたけど、すぐ桐木に代わりました。結局みんな「鍋」で誘ったんですよね(笑)。俺んちで何回やったかわからないくらい、飯食わせて仲良くなるのが当時のトレンドでした。

──上京を意識し始めたのは?

黒川:よく出ていたライブハウス「UTERO」で「音楽やりたいなら東京に行け。大学なんか辞めて今すぐ行かないと間に合わないぞ」って言われたんです。柳田はすぐ動いたんですけど、自分は「いやいや、親もいるし中退は無理やろ…」って(笑)。親からも、「せめて教員免許を取ってからにしなさい」と言われて。だから大学2年くらいから少しずつ「上京」という選択肢に気持ちを整えていきました。

最初はむしろ嫌でしたね。福岡が好きだったし、SNSでも「東京行かんでも福岡でやれるやろ」みたいな空気があって、僕もそう思っていたんです。でも柳田が、「東京にはガチで音楽やっているやつが山ほどいる。その中にいなかったらどうするん?」と言ってきて。「じゃあ行くしかないんか……」と観念しました。

──それで上京して、しばらくは大変だった?

黒川:めちゃくちゃ大変でした。昼はバイト、夜はスタジオで深夜2〜3時まで練習して、そのまま朝から仕事の日々。自分は睡眠を取らないとダメなタイプなので、リハを途中で抜けると「お前は音楽しに来たんじゃないのか」とメンバーに責められるし、当時同棲していた彼女からも「なんでいつもそんなに遅いの」と言われるし……あの頃は本当にしんどかったです。

それでも、曲ができる瞬間はいつも最高でした。当時はスタジオでオケを作って、それに柳田がメロディをつけてくるスタイルで、そのメロディがいつも想像を超えてきたんです。「これだ!」って瞬間が本当に嬉しくて、それでなんとか踏ん張れましたね。

──その状況が少し楽になったのはいつ頃ですか?

黒川:やっぱりメジャーデビューのタイミングですね。ただ、その直前にはコロナでツアーが全部飛び、マネージャーに「こんだけ赤字だよ」と数字を見せられたんですよ。当時は25歳くらいでしたが、「結果も出せてないしクビもありえるな」と。

正直「もう無理やろ」と思っていた時、マネージャーから「メジャーデビュー決まったよ」という連絡があって。しかも「夜永唄」がTikTokで急に広まりだした。バイト先はコロナで営業出来なくなっていたのですが、「今月で辞めます!」と伝えたのをよく覚えています。そこから少しずつ風向きが変わっていきました。ほんと、運が良かったなと。その頃はもう彼女とも別れていたのですが、できたばかりの「夜永唄」をボイスメモで聴かせたことを、今も鮮明に覚えています。

──黒川さんが日頃大事にしていることって何ですか?

黒川:父によく言われていた「おかげ」という言葉です。いいことも悪いことも全部「おかげ」で繋がっている。ライブ一つとっても、マネジメントチームやスタッフさんのおかげで成り立つし、お客さんが来てくれるおかげで成立する。でも逆に「お前がこうしたおかげで、こんな悪いことも起きた」ということもある。だから良い意味でも悪い意味でも「おかげ」を忘れるなと父に何度も言われました。最近福岡でライブした帰りにもまた父に同じことを言われて、「ずっとこの言葉を大切にしてきたんだな」と改めて感じました。僕も意識して大事にしています。

──音楽以外で、影響を受けている存在や好きなものは?

黒川:イチロー選手ですね。「前進するために一時的な後退は構わない」という言葉に強く影響を受けました。ドラムを叩いていて「掴んだ!」と思った感覚が、「あれ、違うな」となることがあるんです。そこから戻るのはしんどいけど、そういう時はイチロー選手の言葉を思い出しています。何かを突き詰めてきた人の言葉は、ジャンルが違っても響きますね。

──逆に「これだけはしてこなかった」ことってありますか?

黒川:感情的になることですね。今はあまり怒らないですが、小学校5年くらいまでは思ったことをすぐ口にするタイプで、正直嫌なやつだったと思います。そのときにいじめられて、一気に性格が変わった。感情を爆発させるのが苦手になったんです。あれは大きなターニングポイントでした。

当時、野球部にボス的な存在がいて、自分は一番仲が良かったのですが、急にハブられるようになってキャッチボールの相手もいなくなった。それでも野球は続けていましたけど、その経験で性格がガラッと変わったと思います。柳田を見ていると羨ましいですね。高ぶったときに「うわー!」って出せるのは、今の自分にはできない。小学生の頃はふざけたりもできたけど、それができなくなった。まあ、良い面も悪い面もありますね。

──今は、感情を発散する場はやはりドラム?

黒川:そうですね。ドラムを叩いていると感情を全部出せます。音楽の中でパフォーマンスや表情で出せれば十分かなと。もしドラムがなかったら、本当に無気力になっていたかもしれない。気づいたら「神サイのドラム」という居場所が自分にできて本当に良かったと思いますし、神サイの音楽が「誰かの居場所」になればいいとずっと思っています。

──今回、神サイのお気に入り曲を10曲選んでもらいました。何か気づくことありますか?

(秋明菊/煌々と輝く/smoke/アーティスト/凪/スピリタス・レイク/スケッチ/シルバーソルト/泡沫花火/May)

黒川:「煌々と輝く」は特に印象に残っています。マスタリングが終わったときに聴いたら、当時は福岡を出るタイミングで、福岡に別れを告げる曲のように感じたんです。でも今聴くと、東京に向けた曲のようにも響く。さらに今は海外に発信したい気持ちもあるので、聴こえ方がまた違ってきていて。時代や自分の立ち位置で曲の意味が変わってくるのは、本当に面白いなと思います。

──10年一緒に過ごしてきたメンバーそれぞれに、今はどんな思いがありますか?

黒川:柳田は本当にすごいですね。精神的に落ちることはあっても必ず立ち直るし、制作でも誰より努力して、最後は必ずいいものに仕上げてくれる。その姿勢には尊敬しかないです。桐木は、ライブ後に二人で音源を聴き返して「ここをもっとこうしよう」と話せる相手。自分ひとりではできないことを一緒に高め合える存在です。人としてはワンピースのゾロみたい(笑)。冷静で、時々核心を突くことを言ってくれる。バランサーであり、兄貴のような存在ですね。

吉田は一番「アーティスト」だと思います。口数は少ないけど、芯がしっかりあって、それを武装のように積み上げていくスタイル。前は「その武装、剥がした方がいいんじゃないか?」と思ったこともありましたが、それが吉田の形を作っているんだと気づいてからは何も言わなくなりました。突拍子もないギターフレーズを持ってきたり、意見をしっかり伝えたりする姿は本当にかっこいいと思います。

──今後挑戦してみたいことはありますか?

黒川:昔からアパレルブランドをやってみたいんです。特別に服が大好きってわけじゃないんですけど、頭の中にあるものをゼロから形にする経験をしてみたい。音楽はみんなで作るものだけど、アパレルなら本当に自分の発想だけで実現できる。大量生産じゃなくてもいいから、自分のブランドを持つのはずっと夢なんです。

──最後に、10年前の自分に声をかけられるとしたら?

黒川:「そのまま好きなことをして突っ走れ」ですね。僕らは運よく好きなことで生活できていますが、それは出会った人や先輩との関わりがあったからこそ。好きなことをやっていたから、今も一緒に活動できている仲間に出会えたと思っています。だから「就職どうしよう」とか「リスクが……」なんて考えすぎなくて大丈夫。好きなことに進む方が、精神的にもずっと楽になるんだと気づきました。

もちろん、思い描いたとおりにならないこともあると思います。でも、その過程で出会った人たちが新しい道をつくってくれる。だから悩んでいる10年前の自分にも、今、同じように悩んでいる誰かにも「好きなことをやってみよう」と伝えたいです。